2012植林ボランティアツアー報告

2012植林ボランティアツアー報告(PDF:19.4MB):ダウンロード

2012植林ボランティアツアー 
ニュース映像和訳
記者:クルチェンコワN.
プシカリョフN.

<ナナイ地区植林現場>
歌は「モスクワ郊外の夕べ」ですが、毎春、日本人はハバロフスク郊外の森林に想いを馳せています。日本人の広い心が十分に発揮できるところがあるからです。今回のボランティアは、チョウセンゴヨウ林が10年ほど前に焼けてしまったところで植林作業を行っています。慣れた参加者は植林の豊富な知識を持って苗木の土を踏み固めますが、初めて参加するボランティアには、ハバロフスク地方森林管理局長が指導をしています。

ボルトルシコ局長:『このようにして踏み固めるのです。来年の春の雪解け水によって苗木が土から掘り起こされないように、植える時に出来るだけしっかり踏み固めなければなりません。』

公務員を退職して現在年金生活者である福原修氏は、極東ロシアに初めて来ました。ボランティアの募集についてインターネットを通じて知りました。

福原修さん:『私が知る限り、ロシアから日本へ大量の木材が輸出されています。ですから感謝を込めて極東の森林の復活に参加したいと思いました。』

Q どうして植林ボランティアに参加されたのですか?また初めての参加ですか?

A 初めての参加です。以前から環境問題に興味があり、一度このようなボランティアに参加しようと思っていました。また、地球の温暖化が続いているなかで、広大な森林地帯を有するロシアでは山火事が多く自然が破壊される聞いています。このことは地球温暖化に繋がると思いますので、植林を行うことにより地球温暖化が少しでも防げればと ・・・。また、ロシアと日本の友好親善にもつながると思います。我々の行っていることは小さいけれども、 この小さな一歩が大事だと思い参加しました。

Q 温暖化は、防げますか?

A 地球の温暖化を少しで防ぐことが、我々の使命と思い未来の地球のためになると思います。

Q 植林ボランティアに参加費は、公費負担ですか?

A いいえ、全額自己負担です。

Q 参加費は、高いですか?

A ボランティアですから。

Q 植林作業は、大変でしたか?

A 営林所長から、3,000本のチョウセンゴヨウマツを植林してもらいますと言われたときは、当初、参加者18人で全部植林できるか心配でした。

Q 植林が終わってみてどうでしたか?

A 所長の懇切丁寧な指導により、大した疲れも無く無事終えることができ、ほっとしているところです。また、来年も環境保護のために植林にやってきます。植林したマツの成長を見るのが楽しみです。

ロシアにこのようにして森林を戻すアイデアを考え出したのは「むさしの・多摩・ハバロフスク協会」です。15年ほど前からエコツリーズム(環境保護ツアー)は日本の年金生活者の間でかなり流行っています。一日中新鮮な空気の中で過ごし、ゆっくりした散歩場所もあります。特に楽しいのは、前年に植えた木を確かめることです。しかし、定期的に生じる火事の事件なしには、なかなかいきません。

安藤理事長:『このような事件は受け入れざるを得ませんが、火災で消失したら、何度でも来て、再び植林を行いたいと思います。でも、森林火災にならないように、ロシアの皆さんには、気をつけて欲しいです。』

日本人により植林されたチョウセンゴヨウ林は、既にハバロフスクの郊外にあるボロニェジやヘフツィルで見られます。それぞれの営林署では、このような森林を特別管理地帯としています。

ボルトルシコ局長:『我々は植林した木を保護しています。なくなった苗木の代わりに営林署の手により新しく苗木を植えます。現在は、2年生・3年生、あるいは5年生とか6年生の苗木が見られます。』

酒本夫妻は、世界をめぐって旅をしていますが、ハバロフスクに来たのは二回目です。植えた苗木が、どのように生長していくのかを楽しみにしています。

<平和慰霊公苑>
本日、日本のボランティアはハバロフスク市内に木を植えました。今回のために、わざわざ日本から数十本の桜の苗木を持ってきて、日本の抑留者の記念碑のところに植えることになりました。1995年にここに平和慰霊公苑が出来ました。今日現在までは、ここには草ばかり生えていました。極東地域では本来、桜が慣れにくいものだと日本人にはよく分かっています。ハバロフスクに桜を植林する前回の試みはほとんど失敗に終わりました。にもかかわらず、日本の人々は、再び試しに来ました。

高橋総領事:『我々にとっては、日本のシンボルである桜をハバロフスクに根付かせることは夢であります。』

ボランティアは、ボリショイヘフツィルの友好の森にも唐松やチョウセンゴヨウを植える予定とのことです。

記者:クルチェンコワN.、プシカリョフN.

2011植林ボランティアツアー in ハバロフスク

ハバロフスクテレビ放送局

ニュース映像和訳
記者:セルゲイ・シテファン、ドミトリイ・ポクシャ

記 者:環境部隊がハバロフスク郊外に上陸しました。 日本の武蔵野市から来た9人のボランティアが、ハバロフスクの学生ともに極東の森林の復活を行っています。 一日のみでチョウセンゴヨウの1000本の苗木を植栽しました。
(サクラサクラの歌を合唱する)
作業を始めるに当たって歌を歌うのはロシアの習慣ですが、今回は、日本の歌を歌います。
武蔵野市民とハバロフスク市役所が13年前に友好の森における毎年の植林作業協定書を締結してから初めて、今年は日本のボランティアが来られない恐れがありました。
日本で起こった大変な地震のため、普段は30人ほどが来るボランティアが、今回はヘフツィル地区に9人で植林を行います。
イワノワ国際交流局長:『日本のメンバーから話がありましたが、今回の震災でロシアがもっとも大切な支援を与え、災難が起こった地域ではロシアの救援隊がどこよりも早く、また長く救援活動を行いましたので、そのお礼もこめて植林プログラムを中止せずに、継続を願って実施することになったそうです。』
記 者:誇りある日本人は、どうしても植林を継続したいと思ったのです。 苗木代は、日本の緑の募金が負担しました。旅費はボランティアの負担です。
根来美和子さんが80歳なのに、こちらに来たのは休暇のためではありません。
(80歳でロシアに来て木を植えるのは大変ではありませんか?)
根来さん:『それは、人によって違うでしょう。私は、喜んでこんなに面白くて大切な仕事に励みます。年齢は邪魔になりません。この森林がいかに成長するかは私は見られないとしても、それは日露友好の強化への私の貢献になります。』
(今回は、どのような方々が参加していますか?)
安藤理事長:『今回は植林とともに、太平洋大学で環境セミナーを実施しましたので、それに参加した学者の方々もいます。グループのメンバーは、ハバロフスクの郊外に木を植えるために自費で参加してくださった方々です。』
記 者:ロシアの森の作り方は、日本の学者は参考書だけで分かっていますが、実際はそれほど簡単なことではありません。ですから将来林学者になる学生が応援に来ました。過去の10年で、日本のボランティアは、ほぼ3万本の植林をしました。
シェロガエフ営林署長:『成熟したチョウセンゴヨウは、1ヘクタール当たり200本あれば十分で、チョウセンゴヨウの林ができます。
今回は、1000本を植えます。
記 者:つまり、5箇所の林が出来るという意味ですか。
シェロガエフ営林署長:『はい、その通りです。』
記 者:本江一郎教授は世界でも有名な生物学者で、現在ボルネオ大学の教授ですが、毎年ハバロフスクにいらっしゃいます。今回は植栽の新しい技術を持ってきました。教授の考えによれば、チョウセンゴヨウは、このような製紙製ポットを使って植えます。そのさい、金属のシャベルを使わない方がいいとのことです。
太平洋大学のヴィヴォドツェフ博士は日本のノウハウを試みるために実験場所を与える用意を示しました。
ヴィヴォドツェフ先生:『我々は、実験のために15個とコントロールのための15個を用意します。
新しい方法がどんな結果を発揮するか、比較するつもりです。』
八月には日本から児童の代表団がハバロフスクに来ることになっています。
若い環境学者は、伝統に従い友好の森で木を植える予定です。

スライドショーの用意ができました。